偏差値70からの大学受験 大学2年生編 前篇

大学2年生編
 
2000年大学2年生


1、2000年4月。夜間に一年振りの復学!王将、笑顔のお出迎え!



 僕は1年ぶりに夜間に復学した。

 大学の授業は、大体4月の上旬から始まる。それまで、家で受験勉強を相変わらず続けていた僕は、久しぶりに大学に行くことになった。授業初日のことだった。
 僕は落ちてからの一ヶ月、屈辱に耐えられなくて、ほとんど人間との接触を絶っていた。だからこそ気分転換に大学はもってこいだ。そう思って僕は家を久しぶりに出た。しかしそれは大きな間違いだった。休学するときに考えていた、「落ちたら何言われるか分からない」という事を忘れていたのだ。
 
 授業初日、一年ぶりに僕はあの長い、そして辛い山道を僕は登り、ようやくキャンパスにたどり着いた。
 授業少し前で、食堂でまた勉強しようと向かっていたら、前から見たことのある奴が歩いてきた。王将だった。そうあの模擬試験を見せて、反感をくらった彼だ。僕はとっさに「まずい」と思ったが、もう時すでに遅かった。
 彼は僕を発見すると、満面の笑みを顔に浮かべ、駆け寄ってきた。「落ちたんだって?」彼は嬉しそうに僕に声をかけた。僕はようやく気付いた。落ちたらこれが待っているという事を。
 王将はあれだけ自分を不快にさせた奴が、見事に失敗して帰ってきたので、本当に元気になっていた。「落ちたんだって?どこ受けたの?そんなに受けたのに全部落ちたのかぁ。オマエには難しかったんだね」と、一方的にしゃべりだした。
 そして彼は、最も僕の感情を逆なでする発言をかます。
 「やっぱりね。俺は落ちると思っていたよ。オマエは本当に根性がないからなぁ」笑いながらこう言ったのだ。彼はもしかしたらそこまで悪気はなかったのかもしれない。冗談だったのかもしれない。ただ僕は一切笑えなかった。
 「違う!あれだけ勉強したんだ!勘違い野郎ではない!」僕はこう叫びたかった。
 「本当は受かったんだ!」
 ただ僕は結果として落ちた。だから何も言えなかった。
 僕は苦しまぎれに、王将にこう返した。
 「オマエは龍国大学から仮面浪人で、ここに受かったんだよね。よく成功したね。すごいよ。僕も君みたいだったらなあ。」
 龍国から神戸大学夜間と、夜間から早稲田慶応ではレベルが全然違う。そんな事情を踏まえての、僕からの精一杯の皮肉だった。しかし彼には僕のそんなささいな攻撃は、全く通じなかった。それどころか、彼はそれを「褒められている」と勘違いして、ご機嫌になってしまったのだ。
 「そうだねぇ。龍国から仮面浪人したときは辛かったなぁ。オマエはそういう辛さに耐える力が、無いんだよ。俺は本当にあの時頑張ったよ。仮面浪人とはこういう風にするんだぜ・・・・・・・」と、あげくの果てには、「龍国脱出」の自慢と「仮面浪人とは」の説教話が始まった。
 もう笑うしかないのかもしれない。しかし僕は笑えない。引き続き黙って彼の話を聞くしかなかった。僕は思った。ここでキレて王将に殴りかかっても、何も始まらない。こん悔しさをにぎりしめながら、頑張るしかない、合格するしか道はないのだ、と。
 僕は本当に悔いがないくらいに頑張った。だからこの落ちた悔しさは、計り知れないくらい大きい。王将のこの「お出迎え」は本当に脳裏に焼き付いた。ヤル気がますますわいてきた。
 王将はこう繰り返した。
「カズヤは受かると思っていたよ。オマエはもっと頑張らなくちゃいけね-よ」

 王将にはこの時1年ぶりに会った訳で、彼は僕の不合格やカズヤの合格を、何故知っていたのだろうか。後々分かったことだが、僕達の情報はどこからともなく流れ、ほとんどの知り合いには恐るべき速さで広がっていたらしい。「偏差値情報」かつ、他人の不幸話に、彼らがどれだけ興味を持っていたのか分かった。別にこれを否定はしない。夜間に限らずコンプレックスはどこにでもあることなのだ。ただ身をもってこの真実を実感しただけだ。
 王将に限らず、高校の友達などからも僕は認められなかった。親からでさえもだ。過程は結局どこからも評価されなかった。僕は自分の中にある「仲良しこよし」という価値観が、もろくも崩れ去っていくのを感じた。

 
2、夜間オ-ルスタ-ズ!
コンプレックスの勇者達がついに登場する!


 僕は授業に出た。ただ去年休学してしまったので、ほとんど僕は「新入生」みたいなもんである。だから2年生だけど、1年生の授業に出ることになった。僕は正直有り難かった。というのも同期のほとんどの2年生は、僕の不合格を知っており、あまり顔を会わしたくないからだ。しかしそれは間違っていた。
 もちろん同期には変な奴がたくさんいたが、この共に授業を受ける「新入生」の方が、数段狂っていたからだ。今考えてみれば「よく揃ったな」というくらい、コンプレックスにまみれた人間達がそこにはいた。
 
 まずは最初の授業、僕は「ヒルマ」「イガ」「IQ」という奴と知り合いになった。全員年は同じの1浪生だった。こいつらが別名「オ-ルスタ-」の代表だ。
 「ヒルマ」という奴だが、彼は神戸大学「昼間」を受験して、不合格。そして名前を得るためだけに、この「夜間」に入学してきたらしい。会った時から、「僕は昼間を受験した。一応,私立関西学院(偏差値58)は合格した。」と自己紹介をかまし、僕は彼から「夜間にいるけど、本当はもっと出来るんだよ」という意識がビンビン感じられた。やはり卑屈に生きている奴はいない。
 そして「イガ」という男だが、彼も立命館(偏差値57)には受かったが、名前だけ得るためにここに来たらしい。そして傑作だったのが、「自分は小学生の時に、学校の手違いで5年生を2回やってしまった。だからオレは年は君と同じだけど、現役でこの夜間にやってきた」というのだ。
 彼は自分が「夜間」に1浪して入ってきたことをエラク気にして、怪しいウソをついて隠そうとしていた。ここにも「俺は本当は頭がイイんだ」というアピ-ルが出ていた。「どんな些細なことでも、自分はバカにされたくない」というプライドが、全面に感じられた。
 ここまででも十分おかしいのだが、次のIQという奴が一番おかしかった。Mrコンプレックスと言っても過言ではないだろう。
 「自分はIQ160」、彼はそう僕らに自己紹介した。IQ160と言えば、「天才」である。
 IQは知能指数の略で、学力にはある程度比例すると言われている。普通の人間は100で、チンパンジ-は80という感じからすると、彼は間違いなく「天才」だ。本やインタ-ネットで調べてみたが、IQ160あれば、本一冊でも一回読めばほとんど暗記してしまう位らしい。まして受験勉強なんか取り組めば、楽々偏差値80ラインまでくるかもしれない。
 しかし彼は受験をやった結果、「夜間」にいることはだけは間違いない事実だ。それに彼のその後の行動などを見ていても、どうにもそんな「天才」だとは思えない。
 こういう妙な自慢も、「自分は頭がいいんだ」という表現の一つにしかなかったのだろう。「神戸大学夜間」では、どこに行っても「頭がいいね」とは評価されない。だけど卑屈になれないから、こういう風に自分で自分に「IQ160」というブランドを張り付け、「大学名ではなく、このIQ160で俺を評価してくれ。どうだ、頭がいいだろう」と言いたいのだと思う。
 「俺は本当は頭がいいんだ」これを認めてほしい、この考えは僕と同じだ。
 しかし「ここにいては認められない。頭がいいってほめられたいなら、イチイチ自分で自慢したくないなら、良い偏差値の大学に行かなければならない、それなりのブランドをつけなければならない」ということに、彼らは気付いていない。いや、気付いているけど行動に移してはいないのだ。これではやはり、今までの夜間生と同じだ。
 そして入学した彼らの自慢のし合いを聞いた後、何となく「夜間脱出」めいた話になった。脱出と言えば、「編入」が一番現実的な手段かもしれない。だから彼らは「編入!編入!」と早くも燃えていた。
 
 ところがその後、彼らはその「受験」よりも簡単な「編入」でさえも、手をつけられなくなる。1ヶ月もたてば、そういう話は一切聞かなくなった。
 「イガ」は「この大学が好きになったから」と言うし、「ヒルマ」は「俺は勉強をやりにここに来たから、編入なんてくだらない」と返された。
 「ヒルマ」や「イガ」はこの後、「受験!受験!」と活発に活動しだす僕に、最後まで「くだらない」とか「何やってんだ」「やめろ」と妨害してくる。そして僕のワルグチを周りに繰り返し、ちょっかいをだす。
 1浪目にも言ったことだが、本当に「偏差値」や「夜間」に満足しているなら、僕が脱出しようとしても「無関心」のはずだ。
 しかし彼らはそうはいかないのだ。コンプレックスの塊だった。

 ただここでも言い訳が一番おもしろかったのは、IQだった。
 「編入はどうしたの」と僕が聞くと、彼は「やめた」という。
 その大きな理由は、「編入なんて簡単だから、そんなことよりももっと別の試験をやっているよ。レベルが高いことしようよ」というのだ。
 彼は現在「司法試験」を勉強しているらしい。司法試験合格によって、「自分は夜間だけど、司法試験に受かったんだ。すごいだろう」と言いたいのだろう。
 確かに編入試験はそこまで難しくはない。一般の入学試験に比べると簡単だ。教科数も英語と論文だけである。だからこそその気になれば、真っ先に手にできる勝利だ。「夜間」から抜けだし、堂々と自己紹介出来るブランド大学生になれる。
 ではどうして「編入」をやらずに、それより100倍くらい難しい「司法試験」などに手を出すのか。司法試験などは偏差値70の東大生でも苦戦するような、最難関の試験である。
 答えは簡単だ。彼はほんの少しの勉強も出来ないのだ。だから「編入」のわずかな勉強でさえ辛くて取り組めない。そんな自分をごまかすため、受かりもしない司法試験を、"一応"目指しているのだ。受かるためにやっているのではない。「そんな難関を目指しているんだよ、俺は」というブランドを、手にするためだけにやっているのだ。
 世の中にはこういうことがよくある。司法試験や官僚の試験といったハイレベルな場では、「記念受験」という人達が大半である。彼らは「受かる」ために受験するのではなく、「受験した」という証拠を得るために、やってくるのだ。「あぁそんなレベルの高い試験を目指してたんだ。すごいね」と言ってもらうために受験するのだ。
 本当に些細なブランドだ。しかし少しの勉強も出来ないIQにとって、この些細なブランドにすがりつくしかなかったのだ。編入をすれば楽になる。しかし勉強はイヤなのだ。それに編入はやればそこまで難しくないだけに、「受かること」が求められてくる。「受かる」「落ちる」がリアルに分かってしまう。勝負することになる。傷つく可能性も出てくる。
 ところが司法試験なら、「絶対に受からない」という結果がやる前から分かっている。だから勉強なんかしないでもいい。ただ「目指している」という、簡単に手に入るブランドがあればいいのだ。
 司法試験合格、これは受験の何倍もの努力が必要だ。だからこそ受験である程度頑張れなかった奴は、ほとんど受かるなんて事はないのではないか。事実、合格者のほとんどは偏差値の高い一流大学出身者ばかりだ。
 「学歴」とは「努力出来るか、出来ないか」の基準でないかと僕は思う。だから偏差値の高いヤツは、努力出来る。努力すれば様々なことが、自分のものになる。そういう風にして、彼らは一歩一歩階段を昇り、最終的に「司法試験合格」を手にするのだろう。
 もちろん「学歴」なんか関係なく、司法試験合格出来る人達もいるだろう。ただそういう人達は、相当の心がけと「絶対受かる。そのための死ぬほどの努力をしてやる」という熱意がなければならないだろう。
 僕はIQもそのタイプだと思いたかった。しかし違った。彼は大体2ヶ月程で、「司法試験」から「公認会計士」、「国家一種試験(官僚採用試験)」、「国税調査官試験」ところころ目標が変わっていったのだ。その度に「司法試験なんてやっぱつまらない」とか、「官僚試験なんか簡単。目指す価値なんかないよ」だとか、「口先」が先行し、僕を失望させた。
 しかも彼はその度に高い月謝を払い続けて、すべてムダにしていた。これではとても「IQ160の天才児」とは信じられないだろう。
 彼はもう「コンプレックス」の渦の中に飲み込まれていた。
 「夜間」という生活の中で、彼らのコンプレックスはさらに加速する。しかし最後まで行動は一切起こさなかった。そんな彼らだからこそ、僕は全員にとって「敵」と見られた。そういうことが大きな刺激となり、僕を異常な方向へと駆り立てていくのだった。


3、4月-6月。偏差値70からの大学受験スタ-ト!



 僕の目指すラインは、絶対合格の偏差値80ラインだ。では、いかにしてそんな未知なる領域にたどり着くか。
 そこで「どう勉強するか」ここで一年間のある程度のプランを決めることにした。

 ともかく確実に合格を狙うのには、「数学」だけしか3教科目の武器がないというのは、心細い。というのも去年の受験で分かった事だが、数学はギャンブル過ぎるということだ。模擬試験なら大体問題が30題近くある。その中には基礎からハイレベルな問題までたくさん入っている。だからパタ-ンを暗記すれば、基礎から標準な問題を完璧に得点し、6割程度稼いで、偏差値70近くは確実に取っていた。しかし一流大学の問題はハイレベルのみの4題しか出ない。これではパタ-ン暗記だけでは、とても応用できない。ギャンブル的要素が多すぎる。
 僕は覚えて覚えてひたすら覚えて、数学の偏差値を上げていったのだ。そんな数学的才能のない僕にとって、「一瞬でひらめく」という事が要求されている問題では、とても「安定」を持って対処できない。
 確実に一回の場で勝負を決めるには、第一に安定性が大事である。
 やはり覚えれば確実に得点できる、「社会」も勉強しようと思った。選択肢はあればあるほどいいに決まっている。ただ今からやるので、1年間では偏差値は60後半までが限界だろう。
 つまり来年の受験までに、英語国語は偏差値80。数学は偏差値70代。社会は60後半。ここまでやれば、早稲田慶応はもちろん、「東大」まで確実に見えてくるだろう。
 この時僕は、受験直前期の時と同じ勉強スタイルを続けていた。それは早稲田慶応などの一流大学の過去問題を、2回3回繰り返すというやつだ。この時は、早稲田慶応はほぼ全学部持っていたので、近くのコンビニに通いコピ-を繰り返していた。英語や国語はこの調子をキ-プした。
 これで実力が伸びるのか分からない。ただ勉強をやっていて「苦しかった、辛かった」この感覚を僕は大事にした。苦しい、辛いと自分が思っているならば、それはレベルの高い難しい問題で、力になっているという事だ。「簡単、ラクチン」と思っていれば、それは簡単な問題であり、たいして疲れるはずもない。従って力がつかない。
 そして問題は社会だ。ここで僕は公民をやることにした。理由は簡単だ。そうあの男、カズヤがやっていたからだ。
 この因縁の受験のキッカケは、カズヤだ。だから社会はカズヤと同じ教科を選び、カズヤと同じ条件で僕も合格してやる、と決心した。 
 勉強方法は分からない。予備校で分かりやすく解説してくれる授業を、取るお金なんてどこにもない。そんな事は関係ない。「ともかく覚えればいいんだろう。苦しめばいいんだろう」こう心に決めると、僕は4教科目に手を出した。理解とかそんなこと関係ない。参考書を片っ端から覚えていった。
 例えば「ケインズという学者は、ケンブリッジ学派に所属している」という項目があったとする。そうしたら、僕は何のことか分からないけどその名前を覚えた。問題で「ケインズはどこの学派?」と聞かれたら、答えられるようにだけした。その解答パタ-ンを覚えた。ケンブリッジ学派って何の事?って質問されても、もう分からない。つまり暗記しまくりで、立体的に理解したという訳ではなかった。興味なんか何もない。試験で得点出来るためだけの勉強法だ。ただ機械的に覚えてやった。
 「この教科に興味がある」だとか、「この教科を勉強していけば、大学に授業で役に立つ」とか関係ない。ウダウダ能書をたれている暇があったら、何でもいいから得点を稼ぎ、偏差値をとらなければいけない。そして合格しなければいけない。

 「不運」など起きえない驚異の偏差値をとり、1浪目の時の様な「逆の奇跡」が起きたとしても、それでも合格を確実に勝ち取る。これを目標にした、僕の「偏差値70からの大学受験」がついに始まった。「受験に絶対はない」はよく聞く言葉だ。しかし僕は、敢えてそれに挑戦を挑むことになる。
「どうすればいいか」
 そんな自問自答が繰り返されるなか、ついに2浪目最初の模擬試験がやってきた。
 「受験は才能」このジレンマに、ついに決着がつくときがやってきた。


4、夜間生が全国ランキングについに登場!
受験は才能ではない、迷いがフッ切れる!



 返却された6月の試験は、実情の成績がしっかりと出た。
 英語は偏差値77、8。国語は偏差値73。数学は67。公民66。
 当然早稲田慶応はどこ書いても、全て判定はマックス80%のA判定。国立の一橋大学でさえ、1000人の全志望者中、第9位の位置までにいた。

 僕は確かな自信が沸き上がってくるのが感じた。
 こんな数字、僕は2年前には想像もつかなかった。「偏差値70後半」なんて「天才」だと思っていた。
 ところが僕はついにここまでやってきた。全国ランキングにも名前が出ている。「天才」でしかたどり着けないと思っていた場所に、僕自身が立っている。そうここまで勉強すれば、誰でも取れる成績だったのだ。
 「受験に合格できるか」は分からないが、「偏差値」だけは誰でも取れる簡単なことだった。世間で目の敵にされる様な、「タチノワルイ」ものではなかったのだ。むしろ「正々堂々」としていた。
 「僕はもうだまされない。受験は才能じゃない」と決心してからは、もう迷いはなかった。
 「このままずっと勉強し続けてやる。そして偏差値も上げまくってやる」

 そしておかしな事だが、勉強は楽しくなかったものの、この時から模擬試験は楽しくなった。それは何故かというと、「偏差値がとれるようになった」からだ。
 例えばこういうことだ。僕は陸上部で、長距離が得意だ。学校の体育の授業で、みんなが嫌う「長距離」になった時、僕だけは楽しみだった。みんなよりタイムが速くて、活躍出来るからだ。自分が得意だったら、どんなものでも楽しくなるのだ。こんな感覚みなさんにもあるだろう。
 信じられないことだったが、「勉強」にもそれが通用した。つまり何のこともない、「勉強」も「スポ-ツ」と同じで、何も「神秘的」なものではなかったのだ。
 後に塾で講師をやった時のことだ。そこでは、わざわざテストの点数を生徒に隠し、彼らを傷つけない様に、かなり気を使ったりした。「やりたい勉強、偏差値で学校を選ぶな」相変わらず、こればっかりだ。「差別化」は絶対厳禁だった。ではサッカ-の授業で、差別化しないように、上手い奴はテントの中へ隔離したりするのだろうか。それでは誰も上手くはならないだろう。
 「勉強」も「サッカ-」もみんな同じだ。サッカ-でも練習がイヤで、試合やゲ-ムが楽しみなように、勉強でも毎日の勉強がいやだけど、ゲ-ムである「模擬試験」は楽しみだ。だからその試験のために勉強していく。その結果一番嬉しい「合格」がある。それだけのものだった。
 それなのに何で「勉強」はすごい事、特別なものと見られるのだろうか。僕はここまで勉強していく事で、自分が教えられてきた「勉強像」が、かなり間違いである事に気付いた。

 ついに僕は偏差値70から走り始めた。見たこともない世界がそこにあり、僕は様々な体験をすることになる。「良い大学」に受かって、人から認められたい、そして何より、自分で自分を認めたい、こう強く願っていた。その気持ち僕をここまで動かした。
 そして「絶望」と思われた「合格」も確実に目の前に現れた。迷うことはない。やり続けるのだ。「合格」する、「脱出」する、僕は確かな手応えを感じた。


5、偏差値80を目指す夜間生。
これが僕の狂った受験勉強スタイルだ!



 シンジさんは僕の知る中では、唯一コンプレックス正直に認め、正々堂々戦っている人だった。
 関西での最大規模での編入模試でも、論文ランキング2位。英語も受験時代から偏差値70。編入試験の内申書である、大学の成績はほとんどA。つまり彼は編入において死角がない。必ず合格するラインにいた。
 やることは何でもやる、身近な編入から確実に決める、そういう強い意志が感じられた。そんな彼を僕は尊敬し、彼も僕を尊敬してくれた。
 僕はシンジさんとしょっちゅう一緒に勉強していた。一人で勉強していると、本当にイヤになってくるが、彼と勉強していると「自分もさぼれない」と闘志がわいた。それに何より、「孤独」が紛らわされた。
 それでもやはり勉強は、楽しいものではなく、「苦痛」だった。
 静かな場所で机に向かって勉強するという事に、僕はもはや耐えられなくなっていた。そりゃそうだ、2年近くも受験勉強をしているからだ。その状況におかしくなりそうだった。楽しいことなんて何もない。限界といえば、限界だった。
 だからなるべく外で勉強するようにした。ざわざわしている大学の食堂が、「人恋しい」気持ちを癒してくれて、一番勉強しやすかった。
 朝9時くらいから自宅で3時間ほど勉強し、気分転換もかねて大学に移動する。そして昼の1時から、合流したシンジさんと、大学の授業までひたすら勉強。さらに夕方から始まる夜間の授業中も、まるで高校生の内職の様に、勉強し続けた。最後に家に帰っきて、夜の11時から深夜の1時くらいまで、また勉強。ト-タルで相変わらず10時間ほどはやっていた。
 ところが一つ問題だったのが、「お金」だった。親は僕がまさかまだ受験しているなんて知らない。だから普通にバイトもしているだろうと考えて、大体一月に4万円くらいの食費を、仕送りしてくれた。普通に考えればこれは当然の額だが、受験勉強をしている僕にとって、少し問題があった。
 月4万なら、一日1000円ちょっと使えるわけだが、僕は受験勉強に過去問題コ-ピ-を大量にしていたので、ここでお金を使ってしまった。
 大体一日に軽く50枚以上はコピ-していから、そうすると残りの食費は500円から700円程度になってしまう。だから朝は抜いて、昼と夜は200円ちょっとの食事になった。
 大学ではほとんど毎日、一杯220円のラ-メンを食べたりしていた。夜はハンバ-ガ-かカップラ-メンが多かった。安くて腹のはるものなら何でもよかったので、ある時は「柿の種」を大量に買い込んで、一週間ほど夕飯は毎日「柿の種」を食べたりした。
 それだと栄養的にかなり問題があるので、最後は「自炊」に落ち着いた。お米を10キロまとめ買いして、毎日少しずつ炊く。そして白米の上に、おかずを一品のせるだけ。そのおかずは豆腐や納豆、ノリ、生卵などが多かった。そんな「穀類生活」に耐えられず、どうしても肉が食べたくなって時は、ハンバ-ガ-の肉を取り出して、おかずにしたりしていた。
 また新しい過去問題集を買ったり(1600円程度)、模擬試験を受験したりする時は(4000円程度)、もう大変だ。どうしようもないくらい生活が苦しくなったりした。
 親に一言「受験するから、お金くれ」と伝えれば、すべては解決する問題だが、1浪目は散々ワガママをさせてもらった身だ。それでも合格しなかった。口が裂けても「2浪する」なんて言えなかった。何よりそんな惨めな自分を見せるのはイヤだった。そんな恥ずかしい自分を見せるくらいなら、黙って勉強する方がよっぽどマシ、と思った。
 ところがこんな「受験貧乏」は、僕だけではなかった。僕よりももっと悲惨な人がいた。それはシンジさんだ。彼は編入の予備校に通っていたので、お金が大量に無くなっていた。当然勉強からバイトする時間もなく、本当に貧困だった。彼も僕と同じ様な予算で、食費を立てていた。
 彼は大学ではほぼ毎日、120円の中ライスに、60円の小さいメンチカツ一個を注文し、ケチャップをかけて食べていた。200円にも満たないその食生活は、本当に質素で、「こんなクサイ飯食うのも、今年限りにしたいですよ。早く抜け出したいです」といつもこぼしていた。
 栄養のことなど一切気にしない彼の夕食などは、もっとひどいもので、カップラ-メンなどは当たり前。ポテトチップスを20日間食べ続けたり、チョコレ-トのお菓子で一週間暮らしたりと、もう何でもありの状況だった。
 彼は神戸に来てから、1年間チョイもこの生活を繰り返していたため、体が既にボロボロだった。いつも食べ物が入ると、お腹がおかしくなって、トイレに駆け込んでいた。その光景はいつも異様だった。
 彼は言った。「もうこんな夜間に居たくないです。コンプレックスに疲れました。人間はこんなもんです。合格はしたいけど、これから長くは生きていたくはないです」と。少し自虐的な感情があったシンジさんは、この生活を苦とせず、むしろあえて自分の身をこの様な状況に置いて、傷つけているとしか見えなかった。
 僕は彼を止めることは出来なかった。夜間に身を置く「クサイ」僕達は、昼間の連中が楽しそうにおしゃべりをしながら、爽やかにゴハンを食べているその横で、同じように美味しくゴハンは食べれなかった。それが現実だ。「夜間」を抜け出さない限り、コンプレックスに陥った僕達は、ゴハンでさえ美味しくない。まして幸せには絶対なれないのだ。今年は徹底的に腐るしかない。
 信じられないくらいに、僕達の考え方は曲がっていた。しかしこのネジ曲がった考えは、その異常さゆえ、本当に力になった。自分を極限にまで追い込むことが出来た。
 僕達はこんな自分たちの活動を、勝手に「サ-クル」化した。
 その名は「脱出部」。コンプレックスから抜けだし、真の「自分」を獲得するのが目的だ。別に何かイベントをするわけではない。ただただ毎日ひたすら勉強するだけだ。
 大学側に公式に認めてもらおうと思ったが、やめた。怒鳴り帰されるのがオチだからだ。 こうして二人だけの「脱出部」が幕を開け、共に壮絶な戦いに挑んでいく事になる。
 去年のカズヤさんとの1年間とは全く違う、ドラマが始まったのだ。