偏差値70からの大学受験 大学2年生編 後編

6、7-8月。
コンプレックスの巣窟、大学のサ-クルとはこんなもんだ!



 そんな僕達だったが、夏休みに入ると「息抜き」のため、月に一回、大学のサ-クルに行くことになった。これが僕を、さらに狂わせた。
 サ-クルとは、大学で青春を謳歌する素晴らしいものと、世間では言われている。
 ところがこれはデタラメだった。
 全てのサ-クルがそうだとは言えないが、少なくとも僕の行ったサ-クルは、楽しみたいけど楽しめなかった。偏差値の低い者には、その「楽しむ」資格がなかった。
 参加したのは、あるディベートサークルだった。このサ-クルは神戸大学だけでなく、様々な大学との共同で運営する、全部で20人ほどの小さいサ-クルだった。「いろんな大学同志、仲良くやろう」、これが彼らのテ-マだった。
 ところがこの「共同運営」というのが、一番まずかったのだ。様々に偏差値の違う大学同志が、仲良くやっていけるはずないのだ。20に近い大人達が、「平和に平等に」なんて、出来るはずないのだ。
 
 なまじっか「ディベ-ト(討論)」で活動するので、サ-クルの権力は「いかに知性をアピ-ルし、ディベ-トで活躍するか」で決まった。となると男性は誰でも「権力」にあこがれるので、ディベ-トでいいカッコを目指す。
 ところがここで大問題だ。
 そう「大学名」だ。神戸大学のヤツが発言すれば、全員「すごい」となるが、偏差値40代の大学の連中が発言すると、「調子にのるな」というキツい視線がビリビリと支配する。つまり「偏差値が低い人間は、説得力がないよ」という訳だ。案の定偏差値が低いのに、イキがるヤツは、どんどんサ-クルを脱退せざる得なくなる。
 表面上は「人間平等だ。偏差値じゃなく人間性でしょう」と言っているが、実情はとんでもなかった。「あの人は偏差値が低くても、人間が素晴らしい」というヤツもいたが、大体ディベ-トでは静かに目立っていない人間だった。卑屈に生きていれば、偏差値が低くても評判を得ていた。だが卑屈に生きられる人間なんていない。
 舞台裏では、偏差値の低いやつは偏差値の高いやつを否定し、高いやつは低いやつをバカにしていた。
 気になる女の子の評価でも、「大学名」は確実にブランドとなっていた。もちろんルックスの善し悪しもあるが、正直になれば、「大学名」ブランドが大きな決定力になっていた事は事実だ。

 「男はカッコよさか内面」、というのが僕の高校時代だった。ところがここでは「大学名」というブランドが加わった。
 基本的に大学生はほとんど暇だ。何かに打ち込んでいる奴なんていない。みんな動きを一斉に止めているので、やはり唯一差が出るのは「大学名」くらいだったのだ。

 「大学名」、「権力争い」、「人の悪口」、「男女問題」、それらが渦巻くサ-クルは、ある種「社会の縮図」だった。
 
 僕はといえば、「斎藤はノンキでいいよな」「いつも笑っていられて、うらやましいよ」「バカだな、オマエは」、いつもこうだった。ある時は、「神戸大学でも、夜間でしょ?」と、女の子にまでバカにされた。しかし全部事実だ。反論しても「負け犬の遠吠え」だ。黙るしかない。
 僕は完全にナメられていた。ここでも評価の基準は、「神戸大学夜間」だった。
 サ-クルで卑屈に生きる自分の姿を見るのが、本当にヤル気を起こさせた。「こんな姿で一生終わりたくない」そう奮い立たせられた。
 口でどうこう言っても始まらない、体で分からせてやるぞ!僕はこう決心した。これが全てのきっかけだった。
 僕はサ-クル全員の評価をくつがえすため、英検準1級、模擬試験勝負の挑戦状をたたきつけた。相手はもちろん、サ-クル内で権力を握る、「神戸大学、昼間生」だ。


7、9月。ついに偏差値80の夜間生が本性を表わす!
夜間生VS昼間生、模擬試験で対決だ!



 夏が終わった。僕の受験勉強はついに2年を超えた。実際この頃になると、自分でもかなりの力がついているのが分かった。
 日本では英語の受験レベルを超えているとされる、慶応大学の総合政策、環境情報学部、通称「SFC」の入試問題がある。3、4ペ-ジの難解な英文を読み、30個の選択肢題に答えるというものだ。以前テレビで、本場のアメリカ人でも「分からない」と言っていたのを見た。それくらい難しいのだ。当然受験界でもバッシングは凄まじく、「合格者の大半は運で決まる」とまで酷評されている試験だ。
 1浪目、確かに早稲田慶応レベルは解けたが、このSFCは別格だった。自分では解けることなんて有り得ない、と思っていた。予備校でも具体的な勉強方法が確立されていない程、「有り得ない試験」だからだ。
 ところがこれだけ勉強して、何千もの英文を読みこなしていった僕は、ついにSFCまでも、確実に分かる様になっていた。やはり受験に不可能はないのだ。努力すればどんな問題でも、必ず出来るようになる。そう確信した。
 「読める!確かに読める!」この興奮は今でも忘れない。あれだけ難しいと思った問題が、確実に出来ている。運ではなく、しっかりと文章構造までがつかめていた。時間は多少かかるが、7割から8割程度まで得点出来るまでになっていた。かたっぱしから「要約」もしていった。
 こんなところまで自分を引き上げた。だからその力を、サ-クル中に分からせてやりたかった。勝負だ。誰が一番すごいかはっきりさせてやる。
 彼らにこう叫ぶのだ。ここに偏差値80近くの「夜間」がいるぞ、君たちの大好きな大学名を追い求める、'偏差値の亡者'がいるぞ、と。
 矛盾するかもしれないが、「大学名で人は判断できない」という事を、実感させたかった。

 どうしたら最も衝撃的か。
 僕はこう考えた。この登場シ-ンは、出来るだけ派手な方がいい。
 「そうだ、昼間の学生と一緒に受験して、勝負してやればいい」
 僕はヤキソバという神戸大学昼間のヤツに、「英語検定準1級、一緒に受けないか?」と誘った。
 英検準1級は、偏差値70レベルの難関試験だ。サ-クルではその時、誰も持っていなかった。サ-クルで評判の彼は、僕の事を「バカ」だとしか思っていないので、快く受験を承諾した。
 「一緒に受けよう」と言っている時点で、もう勝負だということだ。しかし彼にとって僕は相手だとも思われていなかった。

 僕はサ-クル中にこの勝負を伝えた。
 僕は最も得意とするフィ-ルドで、彼と戦うことになった。
 「夜間」VS「昼間」ついにこの勝負がやってきた。あれだけあこがれていた「昼間」の人間と、この手で戦えるのだ。
 サ-クル中は「ヤキソバ勝ち」を確実としていた。いや、勝負とさえ見ていなかった。あの斎藤が勘違いしてるぞ、という位だったのだろう。
 第一戦は9月の模擬試験。第二戦は10月の英語検定準1級。公平を期して、勝負科目は英語一教科。これなら大学生、受験生関係ない。周りは何とも思っていなかったが、僕は絶対に負けるわけにはいかなかった。意地があった。


8、驚異の偏差値80!神戸大学志望者、全国第一位!
これが「夜間」の実力だ!



 9月15日。日本で最大規模の模擬試験が行なわれる日、僕はまるで受験本番の様に緊張していた。「まずはここでヤキソバに勝つ。必勝!」こう自分に言い聞かせ、僕は試験会場に向かう。
 サ-クル中が注目するわけで、僕の英語以外の成績も、くっついて公表されるわけだ。パ-フェクトな成績表を出してやりたかった。
 ただ僕には自信があった。英語の他に、その切り札は「国語」だ。
 ハイレベルな問題集を片っ端から購入し、すべて「要約」する。早稲田慶応レベルの過去問題も、すべて「要約」する。これを2年間近く毎日毎日やっていると、どんな問題でも解けるようになっていた。古文も大体完璧に近く、死角はなかった。

 ヤキソバはバイトの帰り、余裕でやってきた。会場の大教室に入るなり、「模擬試験なんて久しぶりだなぁ。試験といえば、いつも神戸大学の期末試験だからなぁ」と近くに座っている受験生に、ワザと聞こえるような声で話し出した。周りの受験生は会話を止めて、ヤキソバの方を見ていた。当然だ。彼らの憧れである「神戸大学」の学生がここにいるのだ。輝かしい勝者が、今自分たちと同じ模擬試験を受けているのだ。
 ヤキソバは確かに勝者だった。俺は格が違う、という自信が満ち溢れている。僕はなおのこと、彼に勝たねばならなかった。
 試験は怒濤のごとく過ぎていった。

 その後の結果は恐ろしいものだった。僕は返ってきた結果を見て、何がなんだか分からなかった。
 「ヤリ過ぎた」
 それが最初の感想だった。そう、ここまでヤル必要はなかったのだ。
 英語は9割近くで偏差値77。数学は75、公民は65。そして何より、国語は83だった。特に現代文はほとんど間違えていなかった。マ-クは満点。記述で多少引かれたくらいだ。
 4教科で75、0。3教科で78、3もあった。早稲田慶応の様な私立志望者の中ならば、全国8位だった。執念の結果だ。これなら日本全国どこの大学を志望しても、A判定だ。
 僕の志望校には、しっかりとあの大学名が書かれていた。
 そう、「神戸大学経営学部、昼間コ-ス」と。
 偏差値62の大学を、偏差値78、3の実力者が志望しているのだ。当然A判定。そしてぶっちぎりで全志望者中トップだった。全国で1100人程度が志望していたが、全員敵ではなかった。
 最大の皮肉だった。「神戸大学」全国志望者のトップに立った男が、神戸大学「夜間」なのだ。「夜間」をバカにする「昼間」のトップが、「夜間」なのだ。仮に経営学部じゃなくて、どこの学部を書いても、僕はダントツ一位だっただろう。それなりの成績だ。つまり僕は、その年度の神戸大学トップになった。

 続いて英検準1級。その試験に出る単語レベルは、「異常」とも言えるものだった。普通の受験生なら、まず読めないだろう。ただ当時の僕に「分からない」単語はほとんどなかった。
 何も問題ない。余裕で合格した。2次試験の面接はあるけど、受験者の9割は受かるので、もう僕は合格したのも同然だ。
 ついに僕はとんでもないところまでやってきた。全国クラスというレベルまで、到達したのだ。「夜間生」であるこの僕がだ。
 
 成績表を持った僕は、最初にシンジさんのもとに向かう。
 ただ自分で言うのも何だが、僕はこの時正常ではなかった。この成績が僕を少しずつおかしくさせていたのだろう。
 彼はいつもの食堂にいて、僕の結果を待っていた。
 「どうでしたか?」彼はこの勝負を応援していた。「夜間の意地をみせてやりましょう」これが合い言葉だった。僕は黙って模擬試験と、英語検定の成績表を渡す。
 彼はみるみる顔を変えた。そして一言目だった。
 
 「貼りましょうか?」

 僕はこの時の衝撃を忘れない。あの極限の状況だったからこそ、出た言葉だったのだろう。「模擬試験を大学中に貼り出す」、こんな事思いも寄らないことだった。
 サ-クルだけではない。大学の昼間の連中に全員見せつけてやるのだ。「夜間とはこんなもんだ!偏差値が何だ!」こう叫ぶのだ。
 シンジさんは興奮気味に言った。「この成績なら貼り出せます。誰も文句言えないですよ。神ですよ!こんな成績、僕は今まで見たことがありません!いくら神戸大学生でもありえない成績ですよ」と。
 昼間だけじゃない。夜間で卑屈にコンプレックスに溺れている奴にも、この成績を見せつけたかった。クラスでは夜間生が、未だに「自分の頭の良さ」をアピ-ルし合っていた。裏では「あいつはバカだ」と友達の悪口をも言い、自己満足している。怪しいプライドが、錯綜していた。ハタから見れば何て惨めな光景だろう。
 「コンプレックスなら、正々堂々戦おうぜ!」 僕はただそれだけを、彼らに言いたかったのだ。
 その日、僕達は本当に普通ではなかった。「模擬試験を貼り出す」、そんな発想普通なら到底思いつかないだろう。ただあの時は、確かに何でもありだった。
 それからの1週間、毎日カップラ-メンにしてお金を作り、模擬試験ビラを500枚もコピ-した。真っ黒な下地に、模擬試験の成績が張り付けられ、題字には大きな文字で、「僕、夜間!偏差値80!僕ってすごいでしょ?」「夜間の実力はこんなもんだ!」と踊っている。そして成績表の「志望校」の欄には、「神戸大学昼間コ-ス、全国1位」と書かれ、マジックでグリグリにマ-クしてある。その横には、「夜間、ナメんな!」の文字。一種異様なビラだった。
 僕達は夜遅くまで、大学中にビラを貼りまくった。ありとあらゆるところに貼りまくった。掲示板、教室の壁、挙げ句の果てには天井まで張り付けた。その姿はもはや「普通」ではない。「異常」だ。
 この時から僕は心に決めた。「もう黙っているのは終わりだ」と。
 正々堂々勝負してやる。みんな見ていろ、この僕が偏差値80の夜間生だ!
 僕は自分の中で、何かが変わっていくのに気付いていた。平凡平和で過ごしてきた、あの高校時代が懐かしかった。僕の人生は確かにフツ-だった。ただ今は違う。僕はこの手で神戸大学中を敵に回し、そして全国という舞台で勝負するのだ。
 もう後戻りが出来ない、そう僕は自分に言い聞かせた。


9、10月。神戸大学中を巻き込む、驚異の模擬試験ビラ!
夜間生が全員敵になる!


 次の日の朝、僕はサ-クルの「ロング」という昼間の神戸大学生からの電話でたたき起こされた。
 「あれ、オマエだろう!学校が大変なことになっているぞ!」
 彼の声は興奮気味だった。しかし寝ぼけている僕には、彼が何のことを言っているのか分からない。彼は繰り返した。「早く大学に来い!早く!」と。

 大学に行ってみると、驚くべき光景が広がっていた。ビラが貼ってある場所には、黒山の人だかりが出来ていたのだ。予想もしないことだった。
 普通、大学には様々なビラが貼ってある。サ-クルの勧誘チラシやら、思想団体のメッセ-ジなど、大量に貼ってある。これはありふれている風景なので、誰も足を止めて、それぞれのビラを見たりはしない。
 ところが、この「模擬試験」ビラでは話が違った。誰もが通った受験の成績表だ。しかも「夜間」のものである。さらにその数字は驚異的なもの。学生全てがこれに、強力に吸い寄せられた。食い入るように見入っている。「受験なんて終わったよ」こういう勝者達でも、興味津々だった。
 僕はてっきり、「へぇ」ぐらいで、流されるもんだと思っていた。誰も関心など示さない、そう考えていたが、大きくその予想はくつがえされる。
 その人だかりの側に行くと、「何だこれ?」「夜間が受けたらしいよ」とざわめきあっている。「こんなくだらないものに・・・」とク-ルを装いながらも、我慢できないのか、目を凝らして眺めている。挙げ句の果てには、教授までもが興味深げに立ち止まった。
 大学中ありとあらゆる所で、「模擬試験ビラ」の話題がもちきりだった。食堂で勉強していれば、隣に座るほとんどの学生達が、「見た?」「見た!見た!」「何だあれ?」「何でこんな事するんだろう?」など、ビラ事件で盛り上がっていた。「
 中には「俺は昔、偏差値がこうだった」とか思い出話に花を咲かせる者、「あの成績表は、英語がどうだ、数学がどうだ」と、ご丁寧に分析までする者までいた。もうみんなが夢中である。
 大学生活はとかく暇だ。そんな彼らにとって、「偏差値ビラ」は最高のスパイスだったようだ。「そんなに偏差値が大好きか」、僕は強く確信した。
 ビラに対しては、もちろん賛否両論あったが、平均して「こんな事するなんて、気持ち悪い。だけどすごい」というのが、昼間の連中の意見だった。
 昼間の連中は、一応受験の「勝者」だ。だから余裕があるんだろう。

 ところが、夜間では話が違った。
 誰もが認めざるを得ない成績を叩き付けてやった。しかも「夜間」がだ。昼間の連中の評判をくつがえしてやった。そして僕は受験を正々堂々戦うことを、宣言してやったのだ。だから僕は、夜間の連中がほめてくれる、もしくは「あの斎藤が・・・すごい」と言われると思っていた。中には僕と同じく、自分のコンプレックスを認め、戦いを決意するものが現れる、とまで思っていた。
 しかしとんでもなかった。
 クラスに意気揚々と入っていくと、まずは「ヒルマ」が駆けよってきた。そして怒りに満ちた声で、「何であんなことするんだ!くだらない!何が受験だ!夜間の恥だ!」と吐きつけてきた。何を言ってるんだ、夜間がバカにされているのは、オマエでも分かるだろう!逆に評判を上げてやったのはこの僕だぞ、こう怒鳴り返してやりたかった。ただ僕も大人だ。ここは抑えた。
 そんなにくだらないなら、無視すればいいだろう、イチイチ構うなよ、僕はこう言った。 すると彼の顔はみるみる引きつり、最後にこう言ってのけた。
 「何が偏差値80だ。何にもすごくないぜ。そんな数字でイキがるなよ」
 さすがの僕でも、これにはキレそうになったが、その怒りを通り越して呆れていた。もう彼らには何も伝わらないのだ。
 IQは「こんなの誰でもとれるじゃん。サイトウはバカだ」と繰り返し、僕の悪口を広めはじめ、未だ状況は変わっていない。いや、むしろ以前より状況は悪化した。
 その日、昼間の学生と違い、夜間の学生には余裕が無かった。
 ビラの周りに黒だかりに集まり、興味津々なところは昼間生と変わらないものの、そのビラに口汚くののしっていた。誰もほめたり、すごいなんて言ったりする者はいない。
 「何が受験だ、くだらない!何でこんなことするんだ、バカ!」こればっかりだ。
 僕は思わず言ってやりたかった。
 去年のバクダンにしてもそうだ、「バカだ、クサイ」と言われているのは、オマエらの方なんだぞ、と。
 
僕は一躍夜間の中では有名人になった。いや、全員が敵になったと言った方が、良いのかもしれない。名前は知らなくても、教室に入れば全員から注目された。決して良くは思われていない視線だ。中には睨み付けている奴もいる。
 僕はビリビリとこの肌で、自分一人抜け出した感覚を感じていた。
 彼らはとても元気だった。何故なら僕がとてつもない成績を出しているとはいえ、まだ夜間にいるからだ。彼らは全力をもって、僕を止めにかかった。
 「ヤツを外に出して、勝者にしてはいけない」、そんな意識だ。

 僕がその日大学を帰る頃、IQ、ヒルマ、イガ、その他のコンプレックス連中が一同に集い、僕を待ち構えていた。
 そして僕の目の前で、嫌らしい笑みを浮かべながら、こう言い放ったのだ。
 「こんなのたかが模擬試験だよ、くだらない。大学に受かったわけじゃない!こんなビラ、全部剥がしてヤルよ。何にもすごくない!」。
 彼らは僕達の模試ビラを、ことごとく剥がし始めた。「正義の味方」になったつもりか、彼らは得意満面だった。
 僕は黙って引き下がるしかなかった。シンジさんはこの話を聞き、「ますますここに居たくなくなりました」とこぼす。絶望がさらに深まっていったのだ。

 僕は怒りに満ちた。
 昼間のヤキソバは僕の成績を見て、「こりゃすごい、オマエはすごいんだな」と認めてくれた。さすが勝者の余裕。ここの成績では負けても、天下の神戸大学生だ。人生では負けてはいない。イチイチこんな些細な勝負に目くじらは立てない。またサ-クル中の評判も一変した。良くは思われないものの、「タダ者ではない」という評価になった。
 しかし夜間は全然違う。口で言っても、分からない。ところが体で分からそうとしても、それでも分からない。
 とんでもないヤツを怒らせてしまった事を、彼らは気付いてはいないようだ。
 僕は決心した。彼らを後悔させてやるまで、僕は敢えて戦ってやる。もう止められないし、止まらない。


10、11月。日本で唯一の1年生編入試験登場!
大阪外国語大学、偏差値70!
そして戦いの火蓋が切って落とされる!



 クラスではどっから出てきたのか知らないが、「日本で唯一、1年生が受けられる編入試験がある」という話が回ってきた。

 普通、編入試験というのは、2年生が秋から冬に受けるものだ。そして3年生から合格した大学に移動する。
 編入は大体どんな大学にもあって(東大はない)、実際の一般入学試験よりは、正直偏差値は5、6下がる。だから頑張れば確実に合格出来るのだ。
 ところがここで「1年生の秋に受け、2年生から移動出来る試験がある」というのだ。つまり「1年生編入」である。その大学名は「大阪外国語大学」。東で言えば、東京外国語大学とほぼ同レベルであり、関西では名高い一流大学である。大体偏差値は、学科によって65から70。幸い1年生からやり直している僕にも、受験資格がある。
 当日面接の試験官が話していた事だが、この1年編入は日本全国ここだけであり、その分人気が集まって、一般の試験よりやや難しいらしい。実際受験してみて、僕もそう感じた。そうなると偏差値70オ-バ-になる。極めて難関だ。
 もちろんクラスの夜間生は、誰も受けない。そんな勇気はない。
 そして注目が僕に集まった。
 
「斎藤は受けるのか?それとも逃げるのか?」

 当然受験する、僕には迷いなんて無かった。2月の一般受験の前に「夜間」を脱出が出来るのだ。もうこんなコンプレックスから抜け出せるのだ。チャンスは絶対逃したくはない。
 こうなるとIQ達は、黙って僕の不合格を祈るしかなくなった。ここまで来ても、相変わらず行動は起こさないらしい。
 受験学科はどこにするか?
 僕は国語を極めていたので、日本語に興味があった。どうせ勉強するんだったら、日本語学科かなとまで思った。しかしそんな事関係ない。偏差値が一番高く、胸を張ってエバれる「英語学科」しかない!ヤリたいことなどクソくらえだ!
 幸い高校時代、バイトして貯めた少しの貯金が残っていた。これを全部、受験料3万円に注ぎ込み、「絶対合格」に向けて走り出した。偏差値的には試験科目英語も偏差値80近くあり、何の問題もない。大阪外国語大学だったら、100やって10返ってくるラインに十分入る。
 「今度こそいける!」
 去年より確実な手応えが僕にはあった。

 11月25日。大阪外国語大学1年編入試験日。その日が運命の開戦日となる。
 ほぼ時を同じくして、シンジさんの戦いにも幕が切って落とされる。こちらの舞台は2年生編入だ。彼は万全を期して、京都大学大阪大学東北大学神戸大学の受験を決めていた。2年間の怨念がこもる、編入ランキング2位の彼だ。ここまで受験すれば必ず受かるだろう。必勝体勢だ。もう僕らは夜間には帰れないのだ。

 僕達に去年の事が、ふと頭によぎる。
 この受験はともに受かるしかない、という事だ。どちらかの脱出では勝利ではない。二人そろって合格しなければならない。僕達は無言にも、その事は分かっていた。
 今年、彼とはうわべの「友情」を超えた、固いキズナで結ばれた。ともに戦う同志だ。周りは全員敵だった。辛いときはお互い励まし合った。カズヤに次ぐ、僕にとって2人目の戦友なのだ。今度こそ、二人とも勝利しなければならない。ここからが本当の勝負なのだ。
 ついに「脱出」と「ブランド」をかけた僕達の長年に渡る戦いが、終幕に向けて最後の加速を始めた。